腓骨神経麻痺による起立不能症と腓腹筋断裂を併発し予後不良となったホルスタイン育成牛の一例

こんにちは!獣医師の渡邉です。今回は運動器疾患の症例報告記事となります。
教科書にはなかなか載っていない疾患なので、記事をご覧になった方のご参考になれば幸いです。

症例は、今月1歳を迎えるホルスタイン種育成牛♀です。
稟告は
「朝搾乳後の作業中、フリーストール牛舎内の柵に両後肢が挟まったまま動けなくなっていた本牛を発見し、救出後も起立不能状態が続いている。その後ずっと右下の姿勢で座っている。起立を促すと、両後肢の球節〜繋関節を屈曲させたナックル様姿勢になってしまい、蹄底で着地できていない。」とのことでした。

初診時の様子です。

まずは起立を促したときの様子をご覧ください。

腰を持ち上げる動作に問題はなく、膝関節にも自由は効くようですが…

両後肢とも球節が伸びないことで蹄底を地面につけることができず、特に左後肢の自由が効かずに後ろに滑ってしまっています。

一瞬は惜しい姿勢にもなりましたが、

立ちきれずに横向きに転倒してしまいました。
では、左後肢の傷周辺はどのような状態だったのでしょうか?

飛節頭側のあたりに1cm弱の小さな傷がある以外に外傷はなく、出血はここからのみのようです。従業員さんによると、「柵についていたボルトのようなものが刺さってしまっていた」とのことでした。

傷口周囲の広範囲には触るとブチュブチュというような感触があり、図に示す範囲の皮下に広く強い炎症が起こっていることがわかります。
右後肢には目立った傷口はありませんでしたが、同じような皮下の感触が飛節頭側に(左後肢よりも狭い範囲で)確認されました。
こちらは従業員さんによると、「両後肢が挟まってからどれくらい時間が経っていたのかが不明」とのことから、身動きが取れず肢が挟まったままジタバタと動いてしまったことで皮下組織〜筋肉の挫滅が起こってしまったと予想されました。なお、骨折を疑う所見はありませんでした。

また、この時点で特徴的だった所見としては、両後肢ともいずれの関節や骨にあたる部分を圧迫しても痛がる様子がみられなかったことです。

さて、
①球節が屈曲したまま伸ばすことができず、起立できないこと

②両後肢の飛節頭側に挫傷があること

③挫傷部位周辺の知覚が不明瞭であること

以上の3点から予想される病名は…?


球節が「伸ばせない」
=「趾伸筋」が収縮していない
=「趾伸筋」を支配している「総腓骨神経」が麻痺しているのでは?
=「腓骨神経麻痺」の可能性が高い ということになります。

では、挫傷部位がどこだったかというと…

※牛の解剖アトラス(緑書房)より引用

ドンピシャです。
下腿(脛骨・腓骨から構成)の頭側を走る総腓骨神経が、周囲の皮下浅層に位置する筋肉(趾伸筋)の挫滅とともに損傷してしまったと予想され、実際の状態とも辻褄が合います。

ちなみに後肢の神経支配を示す以下の図を参照しても、

※牛の解剖アトラス(緑書房)より引用

趾伸筋が位置する飛節より遠位の頭側部分全体が総腓骨神経支配であることが描かれており、

私が大学の講義で配布された岡田啓司先生の資料にも同じような症状が記載されていました。ちなみに、長趾伸筋は飛節の屈曲も担うため、これが損傷した場合は飛節の伸長が顕著に見られるようです。
写真の牛の球節〜繋部を屈曲させた様子は、まさに本症例にそっくりです。

ただし、初診時のその場の様子だけでは起立の見込みがあるかどうかは判断しきれず、数日治療をしながら経過を見ていくことになりました。
治療内容としては、皮下の感染による炎症を抑えるための抗生剤と、抗炎症剤(NSAIDs)の注射・経口投与を行いました。

2診目の写真は残念ながら撮れていませんが、一晩経っても起立することはできず、ずり這いのままよく動き回って餌も食べていました。

そして3診目の様子がこちらです。

お尻に筋肉注射をしたところ、痛がって立ち上がり、両後肢球節は変わらず屈曲させたままですがグラグラと数歩にわたり歩行し、最終的には立ち崩れて初診時のように転倒してしまいました。
この後も移動のたびに同様の歩行動作を繰り返していたことから、初診時よりも起立・歩行意欲はあり、少し自由に動かせるようになったことが見てとれます。
また、この時も飛節より遠位〜趾端の各部位を強めに圧迫してみましたが、痛がったり脚を引っ込める・蹴ろうとする様子は全くありませんでした。

そして、4診目になって大きな変化がみられました。

お分かりいただけたでしょうか。
前日まで伸びていた右後肢の飛節が90度以上屈曲し、ぺたんと地面に付いてしまっています。「腓腹筋断裂(ヒトでいうアキレス腱断裂)」の典型症状です。

日増しに動けるようになったことで、より自由の効く右後肢に大きく負担がかかり、何かの拍子に筋断裂を起こしてしまったようです。
ヒトのアキレス腱断裂の場合、手術をして安静にすれば治すことができますが、牛の場合は自重が重すぎること、長期間安静は不可能であることから、治療対象とすることは残念ながらできません。これにより、本牛の予後不良が決定的となりました。

牛舎内での事故をきっかけとして本症例は残念な結末を迎えてしまいましたが、教科書で調べようとしても載っていることが稀な「腓骨神経麻痺」「腓腹筋断裂」の典型症状を目の当たりにすることができ、大変貴重な機会となりました。ご協力いただいた農場の方々に心より感謝いたします。

今回もお読みくださりありがとうございました!

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